ミリアという名前

 

 立ち寄った宿場町の食堂での話しだ。

「主よ…今日も日曜の糧を与えてくださりまことにありがとうございます」

と、一応とも言い難いがシスターのミリアは祈りを捧げてから食にありつく。

 それをテーブル越しに旅のサディスト、もといサド少年のミコトが不思議そうに眺めていた。

 視線に気づいたミリアが「何だ?」と聞くと、ミコトは目をそらして言った。 

「宗教って、救われない人とかが心の拠り所にするものですよね?」

「あん?」

「いや、あなたは何故その修道服を着ているのかと…」

 この発言にはワン公の俺でも驚いた。ミコトが人のことを知ろうとするのは珍しいからだ。

 ミコトとは長く旅をしているが、ミコトは何故俺がしゃべれるかとか、そんなことを聞いたことすらないほど

他人に興味がない。

 ミリアもそのことを感じたのか、しっかり答えた。

「これは逃避だ」

「逃避?」

 と、口を開いたのは俺だ。俺だってなんで鬼がシスターになったのかは気になる。

「この前お前の過去を一方的に聞いちまったしな。拙者のことを話してもいいか…」

 ミリアは何かを少し考えたあと言った。

「まず拙者の名前のことから話す必要がある。ちょっと長いけどいいか? 」

 ミコトが頷くと、ミリアは昔のことについて語り始めた。

「拙者はさ…中鬼、だったんだよ。」

 中鬼とはその名の通り中くらいの強さを指す鬼の階級の一つだ。

恐らく階級を決めるのは創造した鬼神だろう。

「中鬼ってのはさ、生まれた時自分の種族名がないんだ。だからさ、

 個性が違おうが、どんな実力があろうが名前は中鬼…

 高鬼以上の鬼に命名してもらわなきゃあ自ら名乗ることもできない。

 拙者はそれが嫌で自分で名前を髪鬼(はっき)と決めた。」

 普段から天真爛漫ともいえる悩みのなさそうなミリアからコンプレックスの話が出るとは思わなかった。

 ミコトはちゃかさず続きを促した。

「人間との戦のときだ。

 一緒に戦ってた高鬼の奴がさ、お前に名をくれてやるって言ったんだよ。

 拙者は自ら名乗ってる名があるものの、やはりどうどうと名乗れる名はほしいと思って

 名をもらうことにしたんだ。だがな…」

 ミリアの声のトーンが下がっていく。口元が自嘲するようにひん曲がった。

「そいつ、私…拙者のことを変鬼って呼んだんだ。変な考え方をするから変鬼…」

「ひどいな…」

 鬼のことだろうが理不尽ならば憤るのは当たり前だ。

「気がついたら拙者はそいつのことを殺していた。だが…

 角が半分欠けてしまった。鬼にとって角は力の源だ。」

 ようするに二分の一くらいまで弱体化してしまったのか。

「拙者は鬼を追われた。万全な状態だったら戦ってもよかったが、角が半欠けじゃ勝てる気がしなかった。

 拙者は逃げたよ…みじめだった」

 そう言ってる時のミリアは、普段絶対見せないような悲しいような、寂しいような顔をしていた。

 ミコトは思うところがあったのか目を細めて俯いている。

「逃げ疲れて、そろそろ死んでもいいかって思ったときだ。

 拙者の前に師匠が現れた。」

「師匠?」

「ああ、鬼なんだけどな、誰もよく知らないんだ。名前は…言ってもわかんねぇか」

「その人が?」

「拙者に身を隠すように言った、そこが教会だったのさ。この修道服は角を隠すためだったんだよ。

 …師匠は拙者にいろんなことを教えてくれたよ。字の書き方、魔術、教養とかな」

 ミリアのトーンが戻って、にやついた笑顔になった。

「で、その時にミリアという名前を?」

「ああ…従順ではないって意味なんだと、拙者にぴったりだと思ってもらったよ」

 しかし、俺はふと疑問に思った。

「なぁ、人型の鬼ってのはそういう名前は嫌がってなかったか?」

「拙者は従順ではない。いや、なんか吹っ切れてたのかもな」

 ミコトも疑問を口にする。

「しかし…今は角もありませんよね。その修道服を纏う意味は?」

「…師匠が言ってたんだが、これを着てるからミリアなんだとよ。

 拙者もよくわからんがそう言われたから着てる」

 修道服とミリアという名前の関連性。

(そうか、発音が訛ってるんだ。こっちの地方だとその名前の発音はマリア…だったかな)

 俺は一人で納得した。

 
 ミコトは一通り話を聞き終わった後、さらに聞いた。

「鬼に…戻りたいですか?」

「こだわるのはそこじゃないってもう知ってる。どこに居たいかだ。」

「どこに?」

 ミリアはいつも通りに屈託のない笑みで答えた。


「ここに」

 

 ミコトはがつがつと運ばれてきた料理にむしゃぶりつくミリアを眺めている。

優しい目だ。彦に向けていたものとは違う。友達を見る目。

 ミコトは他人に関心と興味をあまりにも持っていない。

それは親しい人間が死んだ時の損失感を味わってきたから、

関わりたくないし、親しくなりたくない。近づいてくれば自ら遠ざかる。

 だがそれでは人は生きていけない。

 生きていくことができてしまったら…それは…

 鬼と何が違うのだろうか。
 

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